【第1回京都寺社仏閣巡り】晴明神社に行ってみた!

私たち京都着物企画は、京都の寺社仏閣巡り企画をはじめました。今回は第1回目として、晴明神社に訪問しました!観光するときなど、ぜひ参考にして下さい!

1.晴明神社って何?

では、晴明神社って何? ってことでざっくりと、どんな神社なのかを紹介していきまます!

まず「晴明神社はどこにあるのか??」ということですが、

場所は京都の上京区、戻橋の近くにあります。

公共交通機関ですと最寄りにバス停(堀川今出川)がありますので、このバス停で下車すれば晴明神社にいけます。

この神社は、安倍晴明を神として祀っている、魔除け・厄除けの神社で、実は晴明の屋敷跡に建てられた神社なんです。

実際に存在していた人間を神として祀るというのは疑問に思うかもしれませんが、日本の原始宗教である神道ではよくあることらしいです。

例えば、福岡県にある太宰府天満宮は菅原道真を学問の神様として祀っていることで有名ですよね。

また、晴明を祀っている神社は全国各地にあります。晴明という人物の偉大さがここからもわかりますね。

2.神社の中には…

まず、鳥居!その額には「晴明桔梗」と呼ばれる五芒星が掲げられてます。(晴明神社っぽい…)

鳥居を潜ると目に入るのは、式神石像と呼ばれる像とその隣にある小さい橋(旧・一條戻橋)です。石像は結構意外なお顔です。ちなみに橋を渡ると桔梗庵という売店があります。(ステッカーとかお菓子が売ってました)

そのまま道を進むと、2つ目の鳥居があるので、これ潜って行きます。(当たり前)

本殿までの道中、晴明井などがありますが、まあ本殿に到着!

本殿の両脇には、安倍晴明像と厄除桃の像があります。どちらも触るとご利益あるかも!?なので、晴明像の足はツルツルになってたりします。

3.安倍晴明と陰陽道

皆さんは、「陰陽師」と聞いてどんなことを想像しますか?

おそらく、こんな感じで

こんな感じで

呪術によって敵を倒したり、魔法使いのようなものをイメージすると思います。

しかし、このイメージは実際の陰陽師とは少し異なったものなのです。

ここでは、日本の歴史における陰陽師・陰陽道と、その代表者である安倍晴明について、説明していきたいと思います!

「陰陽五行説」とは?

陰陽道は、中国の殷の時代からの思想である「陰陽五行説」に基づいて生まれた、日本独自の思想です。

そうですね…まずは、その「陰陽五行説」について、軽く説明をしたいと思います。

陰陽五行説は、「陰陽説」と「五行説」の二つが組み合わさったものです。

陰陽説は、この世のすべてのものは「」と「」の二つに区別することが出来る、というものであり、

五行説は、この世のすべてのものは「 火、水、木、土、金 」によって構成されている、という思想です。

この二つの思想が組み合わさって、陰陽五行説は生まれました。

「万物の成り立ちを知りたい!」という気持ちは、今日の自然科学と同じような意思を感じますよね。

陰陽道は、日本で生まれた思想

時は飛鳥時代。日本にこの陰陽五行説が伝わったのは、仏教伝来と近しいこの時期のことでした。

陰陽道は、陰陽五行説と、同時期に伝わった「 天文、暦、時、易 」などの自然観測が合わさって生まれたものなのです。

つまり、陰陽道とは、一言でいうと

自然現象を観察してそれを分析し、人間や社会に起こることを占い、予測する

ことなのです。

そして、その陰陽道を操る人物として、陰陽師が登場します。

陰陽師は、つい150年前まで国家公務員

平安時代になると、国は中務省という機関に、陰陽寮という組織を作りそこで暦の作成、天体観測などを行っていました。

その陰陽寮で職務をこなしていたのが、陰陽師というわけです。

その後明治維新で江戸幕府が倒されるまでのおよそ1000年間、陰陽師はれっきとした国家公務員として仕事をしていたのです…!

そんな陰陽師の中に、多くの人が知っているある有名な人物がいると思います。

陰陽師の代表格、安倍晴明

そう、安倍晴明です。彼は平安時代に陰陽師として活躍し、日本の歴史に名を刻んでいます。

ここからは、その安倍晴明の人物像や、彼にまつわる伝説をいくつか紹介していきたいと思います。

晴明は40歳の頃まで、陰陽寮で陰陽道について学ぶ学生でした。

それが村上天皇に占いをするように命ぜられ、そこから徐々に表舞台に姿を現すようになってきます。

天皇だけでなく、当時の有力者であったあの藤原道長の信頼をも集め、占いや儀式といった仕事を多くするようになります。

993年には、彼のお祓いによって一条天皇の病が回復したほか、1004年には雨乞いによって干ばつから人々を救うなど、その後多くの功績を残し、彼は1005年に85年の生涯を終えました。

先ほど紹介した晴明神社は、これらの晴明の多大な功績をたたえて、彼の死後に建てられたものなのです。

4.わらび餅とわらび餅とわらび餅と…..

我々取材班一行が清明神社の後に向かったのは、

向かったのは…

京御菓子司 亀屋博永 !!!!

(きょうおんかし かめやひろなが、と読みます)

ここで何を食べるのかというと…

何を食べるのかというと…

わらび餅!!!!!!!

とっても口どけがよく、美味でした。

このお店はテイクアウトのみですが、店員さんがめっちゃいい人で、試食もくれました。

皆さんも晴明神社や一条戻橋に行ったときに、寄ってみてはいかがでしょうか。おすすめです。

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